ikinuki

校正あんまりしないひとの話

covid-19のikinuki

こんばんは、オデンです。

ガッツリ息抜きしすぎていてここに寄ることも忘れていました。

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もう東京に戻ってきましたが、新盆もあり実家に2ヶ月程帰省していました。コロナが世間で騒がれてから初めての帰省。こんなにも家族に会えることって幸せなことなんだなぁって沁みました。久々に会う二匹のワンワンズが大歓迎してくれて最高だった。

ワンワンズが私の部屋にも何度も挨拶に来てくれていつもよりにこにこしてて、可愛かったなぁ。「よく来たね!久しぶりだね!楽しいね!」って言ってた。かわいいね。

 

コロナがいる東京での生活が自分の心をじわじわと攻めてきたのが、スッと退散していくのがよくわかる。緊張の糸が解けて、凝り固まった疲れがどさっと落ちていった。

 

実家に帰る頻度としてはいつもと変わらないはずなのに、なんかとてもとても長い時間だった。「自分が好きでそれを選ばない」という状況がなくなると、選択したくなるし、それを強く意識するからなのかな。家族もそう思っていたからなのか、あんまりしないハグなんてしちゃったりした。

あれはいい夜だった

 

それから生活を整えるために朝5時に起床、ワンワンズと共に1時間散歩。朝ごはんを食べてみんなを見送って、ワンワンズと一緒に昼寝。目覚めるといつの間にか片方どちらかがお尻をくっつけて寝てた。構いすぎて威嚇されたり、甘えられたり、静かに見守られたりで、お昼寝から目覚めることが一つの楽しみになって幸せだったなあ

 

ワンワンズと遊びながら自分のやるべきことをやって、みんなが帰って来たら、また1時間散歩に行った。片方は歩きたがらないし、片方は全力で散歩するからどっちを担当するにしても違う辛さと楽しみがあった。最近は涼しくなってきてちゃんと歩くようになったみたい。

歩かないから抱っこするのに、抱っこすると怒るのはやめておくれ。お手上げよ。

 

梅雨が晴れて、快晴も見られるようになってからは、気分が晴れない日は車を借りて、地元をドライブして、海なんか見にいったりした。海の匂いと、どこまでも続く綺麗な青は本当に清々しかった。

 

会いたかった人にも、ちゃんと会って後悔が無いようにしてこれた。コロナのおかげだと思うけど、次またどこかで会えるなって気持ちをやめて、自分の気持ちに素直になった。コロナの脅威がなくなってもこの素直な気持ちは忘れないでいたいね。

 

健康的な生活になって心も身体も軽くなったけど、東京にまた戻ってきてからは乱れがちになっちゃったな。朝9時に起きちゃうし。部屋の大規模な模様替えで生活をリセットしよう

 

毎日が息抜きできる生活に、東京でつくりなおそう

 

おしまい

 

受験失敗と就活成功、自己肯定感。

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こんばんは、オデンです

長い長いトンネルの出口が見えました。ちゃんと出口見えるまでにえらく時間かかりました。今日はそれまでの話。

 

結構プライドもあったし、高校生までは華々しい生活を送ってた。

強い女性生徒会長をつとめ、学校改革もし、同期後輩たちには「貴女のようになりたい」と相談をされることも多々あるくらいには校内で知名度もあったし、実力も認められていたと思う。

それなのに、私だけ受験に失敗。友達たちはいろんな手を使って華々しく次のステージに進みました。まさに挫折。真面目に努力をしても、頭を使って努力しなくてはこうなるのかと。

浪人時代家族とも離れ、社会的に認められない気分で過ごし、再受験をするも第一志望にはいけず。

ああ、また努力の方向間違ってたのかな。

憧れの上京計画も二度目のキャンセル。後期受験を受けるとなった時、親子共々虚しさでいっぱいになり言葉が出なかった。

 

後期はセンターの得点のおかげで合格し、国立大に入れたものの

憧れの地で楽しむ同年齢や同期はうらやましかった。受験で受かって嬉しかったのはほんの一瞬だけだった。華々しい高校生活が頭から離れなかった。

 

私だって、そこに行きたい。

入学してすぐに学歴ロンダリングのための大学転入をめちゃめちゃ調べた。あんまり上手くいかないって記事がほとんどだった。そうだよね、中身しっかりしてないもん。

社会的に「学生」というちゃんとした社会の地位につけたこともあいまって、大学転入は止めることにした。ここの大学の学位を人生の経歴にすることにした。

学歴厨なこともあってこの選択も、自分にとっては屈辱的でしょうがなかった。

 

いろんなチャンスも首都圏に比べたら少なくて、地方と首都圏の

物理的、経済的、時間的に格差がこんなにもあるのか、と落胆したのも覚えている。

 

もう、この田舎で、何もない田舎で次のステップの時失敗しない動きをするしかなかった。大学にあった面白そうなプロジェクトにかたっぱしから参加し、ひたすら次のステップのために自分の話題を溜めに溜めた。

全部真面目に、真剣に取り組んだから体と心の消費は物凄かった。

いくら周りにも「意識高すぎだよw」と言われようと、相手方に無理難題を突きつけられようと、友達と別れを告げようと、浪人時代から感じている周りへの嫉妬心だけで前に突き進んでいたと思う。

 

嫉妬なんて醜い、よくないっていう人がいるけど

挫折でプライドはコテンパンにやられ、自己肯定感もなくなった私が前に進むには嫉妬心しかなかったんだから、嫉妬が原動力だって構わないと思う。そんなにピュアに物事は進められない。

 

就活の時には、これまで活動してきたネットワークでいろんな人にいい方向に助けてもらえた。嘘偽りなくこれまでやってきたことを話せばいいだけだったのは、とっても楽だった。

必要な対策は人の二倍以上時間をかけた。これで努力する方向が間違っていないか、何度も何度も相談しながら進めた。ちゃんと確認することは大事。

 

就活は第一志望にいけた。最初の内定が第一志望からだった。内定メールをもらった時は今でも忘れられない。

「あぁやっと私の5年半、救済された」って。

 

 

周りが華々しくキラキラと大学生になり、クラブや合コンや何やらできゃあきゃあしている中、ポツンと取り残された高校生の時の私のままだった。心が。

その私がやっとやっと笑ったのが自分でわかった。

嫉妬から解放された瞬間といってもいいのかもしれない。

5年間の私が救われた瞬間だったと思う。もう号泣、サイコー。

行きたいところで好きな仕事で人生を過ごせることの嬉しさは、高校生活以上。

私の自己肯定感もそこから徐々に戻ってきた。トンネルの出口もいきなり出てきた。

「今の私はこれで最高だからこのまま頑張れればいい。自分の心も体も大事にしながら生きたらいい。」

この言葉が、自分の身体にスッとちゃんと染み込んだ。

まだ、がむしゃらにやる癖は抜けなくて大変な時もあるけど

ここからが「根本的に」自分を大切にするスタートなんだと思う。

もう少しで完全に自己肯定感がないトンネルを抜けられる気しかない。

 

明日からも、自分を大切に生きよう。

 

おしまい

 

 

OFFLINEの同棲

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こんにちは、オデンです。

いきなりですが、パートナーと同棲をはじめました。念願の上京と同棲を果たしたわけです。やったぁ、ついについに、離れなくていい状態になったわけです。

 

このコロナの外出自粛によって本当に1週間ほど洗濯物を干す以外出てないって感じなんですが、これで同棲の良さを感じています。

話し相手がオフラインでいる

これに尽きる。なんて素晴らしいんでしょう。一人暮らしだったらもうとっくに滅入ってただろうなってめっちゃ思います。

 

外に出れない鬱憤を、だらだら話しながら今度出れたら何しようかって話したり、

ゲーム画面をHDMIでテレビに繋いであーだこーだやったり。

発話できて、レスポンスがあるってこんなにありがたいんだなぁ、人は本当に1人で生きていくには精神の限界があるねぇ〜ってぼんやり思う。

 

ZOOM食事会を昨日開催したんだけど、一人暮らしの人たちは

「やっぱ誰かと話しながらご飯っていいよね」って言ってて首もげるくらい頷いた。

 

と、いうのもオデンあんまり友達多くないから外でご飯食べることってあまりなくて

家でYoutube観ながらご飯とかよくあった。

楽しいんだけど、それが続くとちょっとだけ心が虚しくなっちゃうんだよね。

 

生身の人間が話してる言葉を耳でダイレクトに入れたいときには

どこかのご飯屋さんで1人で座って人の声の雑音を入れたりする。

そこから読書するとなんかいい1日だなとか思えたりした。

 

それができない今、きついなぁと思ってしまうから

私はラッキーだったなぁ。ラッキー!

 

家族とずっといるのも嫌になっている人もいるだろうから

それぞれにはそれぞれの辛さがあるから一概には言えないね。

 

ネットスーパーがうまくいかなかったから、今日は本当に久々に外に出る

完全防備で、チャリをかっ飛ばして行ってくる。楽しみだ。

私のチャリのスピードでコロナウイルス死滅してくれればいいのになぁ。

桜は、もう葉桜になっちゃったかな。東京はあったかいからね。

来年は桜飽きるほどみなくちゃ、今年の分まで。

 

おしまい

なくなったばかりのじいちゃんへ

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じいちゃんはこの世にはいないけど

残されたものとして、じいちゃんの存在をどこかにふっと置いておきたい。

仏教の宗教観からすると、今一生懸命天に上がろうとしているじいちゃん。

身体は終えても、大変だね本当に楽になるまでは。頑張れじいちゃん。

 

洗濯物は芸術的に畳まないと気が済まないね。

わたしのタンスを開けるといつも美しい景色だったよ。

カラスは大敵でよくゴムの玉無しパチンコで窓から音を出して追い出してたね。

自慢げに「行ったぞ〜!」って笑ってたね。その笑顔まだ思い出せるよ、愛しいな。

また戻ってきて憤慨してたけど、それまで含めてワンセットなんだよね。

夜になるとお得意の「あっこいあっこい」を呑む。語源はなんなんでしょう?

信仰深いじいちゃんは朝も、夕方も毎日お経を唱えてたね。わたしがお夕寝から目を覚ますといつもお経を唱えてたその後ろ姿、覚えてるよ。

もう見れないだなんて信じがたいね。

私が幼稚園に入れなかった年、お寺に連れてってくれてお花を作ったね。

私は不器用だったけど、じいちゃんが丁寧に直してくれて作ったっけな。

夕方には手を繋いで河川敷を歩いたね。階段にタッチして帰るのが私たちのお約束。

その時はなにを話してたんだろうね。私は幼すぎて覚えてないよ。

でも「ターッチ!」の声はなんとなく覚えてる。そのあとじいちゃんは「カッハッハ〜」って笑ってたね。それは覚えてる。

スイミングに通った1年半は、じいちゃんがいつも迎えにきてくれてセブンティーンアイスのカラメルプリンをいつも買ってくれたね。

それを食べながら歩いて帰ったり車に乗って帰ったりしたね。

ああ、そうだ、歩いて帰る日は先にじいちゃんがあっこいあっこいを呑んだ日だ。

私がプール入ってる時も手を振ったりすると、静かに頷いてたね。

じいちゃん、シャイだからなあ。

じいちゃんの具材ゴロゴロで、水分がないカレー。

すき焼きとは呼べないが、なぜかすき焼きと呼ばれていたアレ。

マグロを週4で食べて、飽きたと贅沢を言ってた中学時代。

伊達巻死ぬほど詰めてたおせち。

「じいより」の文字が可愛い、お年玉袋。

お小遣いもらうのが苦手な私にくれた、じいちゃんの500円玉貯金。

 

じいちゃんからの最後のプレゼントは、確か昔じいちゃんが使ってた腕時計にした。

私はこれからも色んなところに行くつもりで人生を歩むけど

じいちゃんも一緒に連れて行きたいんだ。大事にするから、見守っておくれ。

色んな写真も入れたけど、もしじいちゃんが時間があるなら行ってほしい。

これまでじいちゃんに話してきた国の景色をじいちゃんにもみてほしいんだ。

いろんなことを知りたかったじいちゃんは、きっと楽しいと思うから。 

 

じいちゃんにまた会うまでに時間がかかるね。

じいちゃんに会うまでに私は結婚して、子どもを産んで、世界を旅して、今よりもっと聞いてほしいことがあるだろうからいっぱい聞いてね。

人は亡くなると20歳の見た目に戻る、なんて考え方もあるみたいだから若いじいちゃんに会えるのが楽しみだよ。私が20歳の時は顔がパンパンだから27歳くらいの見た目であいたいなあ

 

「おぉ〜、おっきくなったなあ〜」ってまたニコニコしながら言ってね

 

 

Thank you ,grandpa

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こんにちは、オデンです

1月の中旬に、私の大事な大事なじいちゃんが人生を終えました。

家族が揃うまでずっと待っていたじいちゃん。

最後まで気を遣うじいちゃんで、最期までじいちゃんらしかった。

本当に月が大きくて、空が澄んでいて綺麗な夜だったことを忘れられない。

 

じいちゃんが亡くなると、本当に様々な人が集って知らないじいちゃんを知る。

車をぶつけちゃってから車を自らおりて外に行くことが少なくなったじいちゃん、

知的好奇心が強いじいちゃんは双眼鏡を密かに購入して、外が見たかったこと。

小さい頃に父親を亡くしてから誰にも甘えずに生きてきたらしい

認知症を患ってから娘に怒られることも多々あった。

「そろそろ甘えさせてくれよなあ〜、娘ちゃん」と弱々しく体を小さくしながら悲しんでいたこと。

妹たちのために働いて、夜間の高校に通ってた。

街灯のない時代だったから本当に夜道が暗くて、じいちゃんのお母さんは当時ずっと心配していたこと。

じいちゃんは小学校から中学校までずっと優秀な成績を修めていたこと。

親戚の方に久々に会った時は、会えて話したことが嬉しくて嬉しくてその話ばかりしていたこと。

家に虫が出て、やっつけると必ず「こいつは前世で悪いことをしたから虫になったんだ」とふがふがした様子で話していたこと。

何十年前に働いていた職場では親切に教えてくれるのが好評で、特に女性はみんなじいちゃんの部署に移動したがっていたこと。

奥さんはもう寝たきりだけど「悪いことしたなあ」としょんぼりしていたこと。

デイケアのお姉さんを自分の娘の様に可愛がり、いつもその人たちと同じリュックを背負って歩くことが晩年の楽しみだったこと。

そのデイケアを退所する日には、何も知らないはずなのにお世話になった方々に手を合わせて回っていたこと。

私の頑張っていることを他の親戚の方に嬉しそうに話してニコニコしていたこと。

私には「おう、頑張れよ〜う」としか言わなかったのになあ

幼い頃遊んでいた砂場は、実はじいちゃんが作ってくれたものだったこと。

 

その人が亡くなってから一番その人を知ることになるなんて、なんか少し寂しいね。

じいちゃん、本当に波乱万丈な人生だったね。

でも、それでもとても慈愛に満ちた人だったね。

お通夜に参列者がみんな涙流してたよ、デイケアのお姉さんもみんなきてくれて涙流してたよ。いつも髪切ってた床屋のおじちゃんも涙流しながら焼香してくれてたよ。

瞬間湯沸かし器なところもあったけど、

いろんな人から愛されていたことがよく分かった。じいちゃん、凄いね。

 

わたし、じいちゃんのこと大好きだった。

じいちゃんもわたしのこと大好きだったかな。そうだといいな。

 

じいちゃん、ありがとうね。大好き

 

同い年のバンド、BUMP OF CHICKEN

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こんにちは、オデンです。

 

オデンは、絶賛BUMPのLIVEに向かっています

"aurora arc"

今回も素敵な素敵なタイトルだなあ。

 

BUMPの生まれ年、96年に生まれた私です

兄が聞いていたのをキッカケに好きになって

同じ96年生まれというのに何となく繋がりを感じて

 

12歳から10年間、ゆるやかにBUMPを応援してます

 

今日は5年ぶりくらいにLIVE参戦です

4歳から高校まで一緒で、仲良くしていたBUMP好きの幼馴染(腐れ縁?( 笑 ))と参戦

 

5,6年前くらいのLIVEもこの幼馴染と一緒に行きました

あの時は幼馴染が人生で1番の危機に直面していて

LIVEでひっそりと泣いていた

幼い私には肩を抱くことぐらいしかできなかったなあ、頑張れって言葉は無責任だったし。

 

そんな幼馴染と、またBUMPのLIVEに行けるのがとても嬉しい。

私も短い人生ではあるけれど、高校卒業後に何かと苦労をして、

お互いに成長して前向きな姿勢気持ちでBUMPのLIVEに行けるんだと思うとすごく嬉しい。

 

幼馴染との関係は、ずっとBUMPが繋いで行ってくれるような、そんな気がするなあ。

 

おしまい

religion

 

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こんばんは、おでんです

 

最近ずっと考えちゃうというか、思っちゃうというか

「え、宗教って人を救うためにできたんじゃないの?」って

 

この世界の戦争の半分以上が宗教紛争、宗教戦争

ここ数年のテロが、宗教がらみのものばっかりで

なんのために、宗教は生まれてきたんだろうって

 

神と崇められてしまっている(いた)方々に申したい。

唯一絶対とか、我こそ神なりみたいな、ちっちぇえこというなよ。信者がそう言い出したら枕元に出て指導してくれよ。

 

「みんなそれぞれ信仰してるんだから邪魔しちゃダメだよ。」

 

くらいお告げしてくれよ。頼むよ。

それぞれの宗教を尊重させてやってくださいよ。本当にさ。

 

もうやるせないんです。スリランカの事件があってからずっと。

おでんには、スリランカでお世話になっためっちゃ良いスリランカ人の方がいます。

もうずっと、1ヶ月以上経っても、私のメッセージに既読がつきません。

日本語の話せる、仕事のできる、新婚さんの、良い人でした。

 

永遠にオンラインもしない、近況報告も更新されないままなんでしょうか。

この2年以内にもう一度スリランカに行くつもりで、もう一回ガイドしてもらおうって話をしてて、私はスリランカ貯金まで始めてたのにな。

嗚呼、やるせないな。

 

神様たち、頼みますよ。

 

 

おしまい